5月5日の解放記念日から学ぶオランダの歴史的背景

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日本には1年のうちに多くの国民の祝日がありますが、2017年から8月11日は「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」日として、国民の祝日「山の日」となり、これにより国民の祝日の年間日数は16日となりました。オランダの祝日は年に14日ありますが、5月5日はLeberation Day:Bevrijdingsdag(解放記念日)という祝日になります。今回はこの祝日から学べるオランダの歴史的な背景をご紹介します。

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そもそもLeberation Day(Bevrijdingsdag)ってどんな日?

平和イベントの模様

この日は、オランダが第2次世界大戦を終え、ナチス・ドイツの支配から解放されたことをを祝います。第2次世界大戦は、1939年から1945年まで続いた戦争ですが、オランダは1945年の8月にヨーロッパの他の地域やアジアに先駆けて、第二次世界大戦の終結を迎え、完全に解放されました。そのあと、すぐに5月5日を国民の祝日に定めることが決まりましたが、この日はオランダが戦争を終えた日ではなく、ナチス・ドイツが敗北した日です。

現在は、アムステルダムを中心としたオランダ各地でLiberation Festivalが開催され、オランダの著名人や世界各国のミュージシャンたちが集い、無料コンサートを開きます。この日は国民の祝日に値しますが、5年に一度が休暇日となります。つまり、5年に一度、郵便局や銀行、あらゆるビジネスパーソンが休日となります。

したがって今年(2017年)は、国民の祝日ではあるものの、ほとんどの人が仕事でした。現地人に聞いたところ、恐らく、前月27日がKINGS DAY(国王の誕生日の祝日)で、祝日が続いているからだということでした。

解放日はこのように明るく祝いますが、前日の4日は、National Remembrance Day(Dodenherdenking)とされ、午後8時に2分間の黙とうが行われ、当時の軍人や国家への敬意をはらい、平和の存続を祈ります。

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第二次世界大戦におけるオランダとドイツの関係

第二次世界大戦初期における、オランダにおける戦いはドイツ軍による低地諸国(ベルギー、ルクセンブルク、オランダ)とフランスへの侵攻作戦(黄色作戦、Fall Gelb)の一部であり、1940年5月10日から5月17日まで行われました。

ドイツ空軍によるオランダのロッテルダムへの爆撃後に、同じような惨劇が他の都市へ及ぶことを防ぐためにオランダ軍が降伏することを決めました。その結果、ナチス・ドイツが勝利し、オランダを占領し、オランダ政府はイギリスに亡命しました。

ロッテルダム爆撃とは?

1940年5月10日、ドイツはオランダと開戦した。ドイツ軍にとって、大都市で工業地帯・港湾でもあるロッテルダムは重要な攻略目標となった。爆弾の大部分は市の中心部に着弾した。一部は港湾部の植物油タンクに命中して火災を発生させ、市街地への延焼を招いた。その結果、中心部の2.6平方kmが焼け野原になり、家屋24,978戸、24個所の教会、2,320軒の商店、775棟の倉庫、62個所の学校が破壊された。正確な人的被害は不明であるが、800~900人が死亡し、8万人が住居を失ったと推定されている。

wikipedia:ロッテルダム爆撃

まとめ

夕焼けをバックに歩く二人の男性

現在、ドイツとオランダは、政治運営や経済、社会、文化的にも近いパートナーとされており、経済面でいえば、両国がもっとも重要な貿易関係にあると言われています。戦後、時間の経過により関係性の修復が図られてきたとは思いますが、他国に住む上で近隣諸国との歴史的背景を学ぶことは、その国への敬意を払うことにつながると思います。

また、過去を知ることにより、現在の街並みや生活の営みを新しい視点から見ることにもつながるはずです。海外生活を契機に、日本からではなく、滞在国の視点からぜひ世界を眺めてみてください。

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この記事を書いた人

Asunijntje
Asunijntje

大学では社会福祉を学び、福祉職として勤務後、オランダへ移住。日本とヨーロッパの地域性や文化の違いを福祉の観点からも注目していきたいです。観光地としてだけでなく、住む場所としてもオランダには魅了されています。

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